東海道・山陽三十五次

鉄道写真を撮ったりイラスト描いたりするブログです。

2021-04-10訪問:「高輪築堤」見学会(4街区) 山手線の下から出土した、日本最初の鉄道構造物

4月10日に開催された、「高輪築堤」一般見学会(4街区)に参加してきました。

この付近一帯は「高輪ゲートウェイ駅」を核とする再開発エリアとなっており、4街区の築堤は今のところ現地保存の予定はありません*1

今後このような見学会が何度開かれるかは不明なため、必死で参加申込をしておりました。
結果何とか予約をとれましたので、写真をブログにまとめておきたいと思います。

「高輪築堤」の一般見学会のご案内(4街区) - 東日本旅客鉄道株式会社

高輪築堤とは

高輪築堤は、新橋(汐留)~横浜(桜木町)間に日本最初の鉄道が正式開業した際、高輪海岸付近の区間で使われていた鉄道構造物です。

f:id:gyykgkw:20210418191750j:plain
当時この辺りはまだ海の中でしたが、海上に築堤をつくるという大胆な手法で路線が建設されました。
そのため今で言う "映える" 風景になったようで、当時の浮世絵にも海上築堤を走る汽車の様子が描かれています。

出土経緯

2019年4月、品川駅改良工事において石積みの一部が見つかりました。… (中略) …2020年7月、高輪築堤の一部とみられる構造物が見つかりました。
高輪築堤の出土について - 東日本旅客鉄道株式会社

築堤は今の今まで山手線・京浜東北線の線路の下辺りに眠っていたようで、「品川開発プロジェクト」による整備・開発の一環として山手線・京浜東北線の線路移設、および旧線の撤去が行われた後に出土した模様です。

出土した構造物の長さは計約800mにもおよび、今後の都市開発と遺構保存のバランスが注目されています。
(2021年4月18日時点では、2・3街区の遺構の一部の現地保存が決まっています。)

写真

高輪ゲートウェイ駅周辺広域の解説地図
さて本題に入ります。見学会は4街区相当の範囲のうち、田町方の端から始まりました。

(1) 田町側・入口付近

見学エリア付近の拡大地図

全体

高輪築堤(4街区分)の全体像
まずは全体像を。高層ビルと築堤遺構という、ギャップの大きい雰囲気がもうたまりません。

ただ、ビル影がかかってしまったのが悔やまれます。
何も深く考えずに午後の時間帯を選んで予約したのですが、位置関係上、太陽が西に傾けばビルの影落ちは避けられません。…この後悔は次回(があれば&参加できれば)活かしたいと思います。

築堤と海底跡
築堤沿いに歩く前に、4街区エリアの終端部に近付ける時間が設けられていました。

崩れた石垣
f:id:gyykgkw:20210417231522j:plain
石垣のうち上半分ほどは崩れた状態です。出土した時点で既にこのような状態だったそう。
一部の石材は、築堤から外された後別の場所で再利用されたのではという説もあります。

また、この築堤を作る際に使った石材の一部にも、計画縮小で建設が取り止められた台場*2用の余剰石材が流用されているそうです。

掘削エリア終端部
この時点での掘削エリア終端部です。

木杭

木の杭が植えられている箇所
f:id:gyykgkw:20210418154548j:plain
築堤の手前側(東側)に目を移すと、おびただしい数の木の杭が植えられていることが分かります。

杭を植えた目的は(見学会が行われた時点では)まだ詳細が分かっておらず、

  • 海中の地盤を強化するために打った説
  • 波が築堤にダメージを与えないよう、消波のために打った説

のどちらか(あるいは両方?)ではないかと推測されているそうです。

一度埋め立てた土砂が波に流されて築堤が崩壊するなど難工事となり、
高輪築堤(概要) - 文化庁

実際このような話もあるので、当時未知の世界だった鉄道構造物の波対策は、ある程度重要視されていたのではないかと思います。

f:id:gyykgkw:20210417231607j:plain
当時のこの辺りの水深は約1mで、築堤の高さは(海底から数えて)約4m。
ご覧の築堤のうち、だいたい4分の1くらいの高さまで海水に沈んでいたことになります。

f:id:gyykgkw:20210418155615j:plain
杭はおおむね4列で打たれていますが、配置はかなり無造作で、場所によって築堤との距離に差があります。

石垣の端にも石材に隣接させる形で杭が打たれており、こちらは4列配置のものより一回り太い木材が使われています。

石垣

石垣が崩れている箇所
石垣が崩されている箇所を見ると、大きめの張り石の下には、細かい裏込めの石が大量に詰められていたことがよく分かります。

f:id:gyykgkw:20210418161735j:plain
工事はイギリス人技師の指導を受けて行われましたが、一方で日本の土木技術が取り入れられた箇所もありました。

若干不揃いな形の石を組み合わせる石垣の作り方はまさにそれで、城の石垣などにおいて、古くから改良が重ねられてきた技術が活かされています。

上面

この築堤は当初複線用の線路スペースを確保して作られ、開業から4年ですぐに複線化されましたが、その20年ほど後になってさらに線路が増え、3線化されています。

当然この築堤には3本目の線路を敷くスペースがないため、既存の石垣(西側)の上からさらに建材を重ねる形で、築堤の拡幅が行われました。

石垣の上面と、増築部分の石垣の一部
写真の奥の方、コンクリート壁ギリギリの位置にある一列に並んだ石が、3線化の際に増築された部分の石垣になります。

単線(→複線)当時の石垣の西側側面は、拡幅の際に完全に埋もれてしまっており、確認することはできません。

f:id:gyykgkw:20210418172551j:plain
石垣(東側)と杭にすっかり夢中で、西側を撮るのを完全に忘れておりました…帰宅してから気付いてももう遅い…!
上記の写真は2枚とも、たまたま西側石垣が多めに写っていた写真を拡大・トリミングしたものです。現地にいる間に気付きたかったです…

(2) 大野高輪ビル付近

見学エリアの拡大地図
入り口付近に戻って解説を受けた後、少し移動します。

大野高輪ビル付近の石垣
大野高輪ビルの辺りまで来ました。
黄色い錆だらけの機器箱(おそらく山手線・京浜東北線用)が目印。

f:id:gyykgkw:20210418165922j:plain
この辺りの石垣は、先ほどまでの区間と比べると、下2段分の石材が若干白っぽくなっているように思います。
(気のせいかもしれませんが)

f:id:gyykgkw:20210418174237j:plain
f:id:gyykgkw:20210418174250j:plain
先ほどまでいた方角(田町方)を振り返って撮影。

信号機跡

信号機跡
このエリアの目玉となる、信号機跡です。

f:id:gyykgkw:20210418174450j:plain
信号機跡(拡大)
築堤の端から若干張り出しているこの場所に、信号機があったと考えられています。

f:id:gyykgkw:20210418174650j:plain
見えにくいですが、張り出し部の中央には木材が敷かれています。
十字形に敷いた木材を基礎とし、この上に腕木式信号機を建てていたようです。

信号機跡付近の石垣
f:id:gyykgkw:20210418185028j:plain
信号機跡脇の石垣拡大。

続き

その2

関連ブログ記事

更新履歴

2021-04-18 21:35 らべにきさんのブログ記事へのリンクをその1・その2文中に追加。
2021-04-30 20:30 一部画像にalt属性を追加。

*1:2021年4月18日現在。他街区の区間のうち一部は現地保存が既に決まっています。

*2:江戸幕府が築造しようとしていた砲台。第四・第七台場が工事中止となり、第八台場以降は着工されなかったそう 台場の歴史|お台場海浜公園&台場公園|海上公園なび