前回の続きです。
(2) 続・大野高輪ビル付近
木杭 (信号機跡付近)
ここではかなり近い位置で杭打ち部分を観察できました。
また、(当時の)海底面に、線路に対して垂直方向の溝…というか凹みが入っている箇所がありました。
その先を境にして杭の配置が大きく変わり、かなり密集した打ち方になります。
何かしら地盤強度と関係があるのではないかと個人的に考えています(公式・専門家の見解ではありません)。
杭が密集すると同時に、築堤本体との間の余白もやや広がりました。
その他 石垣の様子
全体の半分ほどの地点まで来たので、ここで左右を見渡してみます。
前述の通り杭が密集して打たれていることが分かるほか、複数の杭を繋ぐように、線路に対して並行に木材が渡されている箇所が散見されます。
これまでにも似たような杭配置はありましたが、見かける頻度が高くなりました。
やはりここまでしなければいけない理由が地盤にあるのではないかと考えてしまいますが、どうなのでしょう…?
この辺りから、残存する石材数が減り始めます。目測で築堤高さの約4分の1ほどにまで減少。
(3) 撤去されたマンションの北側
石垣の一番上の辺りに、他の石材と比べて何倍も大きな石の塊のようなものが見えます。錆びた金属片のようなものも突き刺さっています。
同じ地点の築堤の向こう側にあるものとセットになる、架線柱基礎(山手線・京浜東北線用のもの)ではないかと思います。
築堤に近付けるエリア(信号機跡前)を出ており、残存する石材も減っている区間であるため、殆ど裏込めの細かい石しか見えません。
少し歩いたところでは、築堤の上面に白い太いパイプのようなものが埋め込まれており、その奥でポンプらしき何かしらの装置に繋がっています。
出土するより前からあった設備なのかどうかは分かりません。
(4) 見学エリア終端付近
いよいよ見学可能エリアの終端に近付いてきました。名残惜しみながら田町方を振り返ります。
この辺りは西側に建っていたマンションが既に解体されているため、影落ちなく様子を見ることができました。
とはいえ、この距離から見えるのはやはり築堤のうち上半分ほどが限界…
4街区の築堤露出部はここまで。田町方同様に新設道路が供用済みで、道路側十数m手前の辺りで土に隠れています。
おわりに
非常に面白い見学会でした。開催にあたり企画・運営や資料作成・解説などを行って下さいましたJR東日本・港区教育委員会の皆様、本当にありがとうございました。
コロナ禍で一度の見学人数が限られることもあり、早々に予約可能人数に達し、参加できなかった方も数多くいらっしゃるものと思います。
開発計画との兼ね合いもあって、築堤全ての現地保存はどうしても不可能とは思いますし、工事が本格的に始まる前に、どうか1人でも多くの方が貴重な築堤跡に触れられるよう、今後も開催継続についてご検討をお願い致します…!
しかし1~6街区分全ての区間で見学会が開かれるのかも分かりませんし、ここは何か開発工事の動きがある前に、らべにきさんのようにヘリを飛ばすしかないのでしょうか…!
更新履歴
2021-04-30 20:35 | 一部画像にalt属性を追加。 |